代表プロフィール

西畑良俊(にしはた よしとし)名刺用

1980年12月27日生まれ 埼玉県春日部市出身・在住

春日部市立小渕小学校・東中学校、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学法学部卒業。

大学時代は競走部・長距離ブロックに所属。箱根駅伝目指して疾走。1年次、出雲駅伝出場。

夢は叶わず卒業。学生時代は、「故障のデパート」と呼ばれていました。

 

大学卒業後、医療用介護用ベッドメーカーに就職。

「人の役に立つ仕事」に魅力を感じるも、「走る」という軸がなくなった生活に、「生きる意味」を見出せず、2年で退職。

ニート・フリーター(NGO活動・教師の卵)などをしながら、「生きる意味」を求めて、4年ほど彷徨いました。

「理想の教育をして、子どもたちと共に、理想の未来を描けたら、死ぬ時に後悔しないのではないか」と思って志した学校現場にて、支援助手として働きながら学びを深めていた時に、「理想」と「現実」のギャップにうつ病を発症。

3ヶ月程、暗幕が下りたような状態になり、平日は何とか職場に行くも、手が震え、何をしたか一切記憶がない状態。土日は寝たきりで起き上がれない日々を過ごしました。

ある時、「この病が、何かメッセージを伝えているとしたら、どんな意味があるんだろう?」と自らに問いかけたところ、「教師にはなるなというメッセージだ!」と思い、免許も取得せずに、方向転換を決意。

「地球環境問題」「食料自給率の問題」に目が向いたため、「田舎に行って、地域内で顔の見える関係で自給自足のような生活ができたら、これらの問題への答えが見出せるのではないか」と思い、田舎へ行くことを決意しました。

しかし、移住先を探すも、特に「ここ!」という土地は見当たらず。

たまたま、ネットで見つけた「緑のふるさと協力隊」に、最初は興味は一切ありませんでしたが、だんだんと魅力を感じるようになり、「この仕組みで、最初はボランティアをして、そこからのご縁で、地域に根ざして生きていけたら、それはそれで面白いかも!?」と思い、応募。

無事に、新潟・粟島への派遣が決まったのでした。

粟島を「第一希望」に選んだのは、「対岸・村上市との合併を自ら断った」「お米は作っていないが、野菜はほぼ自給自足、味噌も島で手作りしている」とウィキペディアに書いてあったから。

「そんな面白い島なら、行ってみてのやりがいもあるだろう」と思ってのこと。

人口350人の島暮らしに憧れたのも事実。

実際に行ってみて、島の方々の温かさに癒され、丸ごとの「存在承認」を受け、自分自身を取り戻し、自分らしく生活できるようになっていきました。

1年目はボランティア。2年目は活性化協議会の事務局として、過ごさせていただき、3年目。

「観光は水商売。そうではなく、地域資源が循環するビジネスをやりたい」という思いから、内閣府が実施していた「地域社会雇用創造事業」の「ビジネスプランコンテスト」に応募。

無事に「ふるさと起業家」に認定され、3年目は、個人で、竹を粉砕して粉にして、その発酵を利用して、生ごみを堆肥化する仕事を、個人事業としてスタートさせました。

 

 

当時の記事はいくつか、こちらからご覧いただけます。

①2010年7月のインタビュー記事【新潟への移住促進「教えて先輩!」】記事

②2011年10月からの3回連載記事【「新しい働き方」】記事

【3回目】には、急展開で島を去ることになった話も書かれています。

 

 

<粟島での体験を「STORYS」に書いています。>

『やりたいことがない若者は田舎へ行こう!』

 

 

そんな島暮らしを経て、次の居住地は、僕と妻のふるさと「埼玉・春日部」ではなく、

なぜか、宮崎県宮崎市。

 

再就職活動中に、たまたま、当時購読をしていた「みやざき中央新聞」に、「記者募集」の記事が初めて掲載されているのを妻が見つけ、「受けてみたら?」と言ってくれたので、履歴書を送り、面接を経て、宮崎に行くことになったのでした。

 

粟島での読者時代、「日本をより良い社会にするのは、ファシリテーションと『みやざき中央新聞』だ!」と強く思っていた会社に入社できたこと、また、学生時代は実は密かに「新聞記者になりたい」と思って勉強していた時期もあったことから(競技に集中することを言い訳に、就職活動ではエントリーせず)、入社後は、水を得た魚のように、取材・編集活動に奔走しました。

 

たまたま、編集長で『日本一心を揺るがす新聞の社説』の著者・水谷謹人さんの代打として、公民館で『親学講座』を実施したことから、子育て講演を各地で実施させていただくようになりました。

 

また、取材を通じて、プロコーチの長友まさ美さんや(サンワードラボ株式会社代表取締役)、本間正人先生と出会い、「コーチングで、自分のように落ち込みがちな人を救えるんだ!」と気づき、2013年4月よりコーアクティブ・コーチングを学び始めました。

 

当時は、「ファシリテーションにも、ファシリテーターの聴く力が必要だし」といった程度の、軽い気持ちで学び始めました。

 

学びを通じて、改めて、「人と向き合うことの面白さ」に目覚め、「取材・編集の仕事も尊いけれど、もっと対面で、人の変化に寄り添える仕事がしたい!」と思い、独立を決意。

2014年10月、コーチングを軸に独立。

2015年1月、プロコーチ資格(CPCC)取得。

2015年9月より、コーチングをベースにした「ご機嫌な職場づくり」研修をスタート。

2016年7月、妻の一言に埼玉・春日部に帰ることを決意。(妻も同郷です)

 

現在では、仙台、埼玉、東京、大阪、長崎、宮崎、鹿児島などの企業に、定期的に出向いて研修を実施。

 

その研修は、「わかりやすい」「ワーク中心で飽きない」「現場でも使える」と大変好評。

定期的な研修を受講した企業では、日々のコミュニケーションの質が変わり、「真面目な雑談」ができるようになり、社内の風通しもよくなった結果、業績が上向く事例が頻発。

自身も、さらにお役に立つため、喜ばれるために、日々自己研鑽中。

 

2017年12月の宮崎出張では、2日間で17人の方のお話を伺わせていただき、苦しみを生き抜いて来られた方々が、涙を乗り越えて笑顔で帰られる姿を見て、帰りの飛行機の中で嗚咽。

感涙に咽び泣く体験をしました。

 

「人は、生きている限り、どんな人にもお役目がある」

「お互いを認め合い、信頼し合い、承認し合うからこそ、人間関係はますます豊かになっていくし、組織としての成果も自ずと付いてくる」

そう信じています。

 

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